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記念碑

母思像(赤い靴公園)

童謡「赤い靴」の歌詞にある女の子をイメージして建てられたものです。
この歌詞は、留寿都村に開拓に入るために幼い娘をアメリカ人宣教師に預けた母親が娘を案じた心情を、歌詞家・野口雨情が「赤い靴」として発表したものです。
留寿都村では「赤い靴」ゆかりの地として女の子の像を建てました。女の子の名前は岩崎きみ。母親の像は「ルスツふるさと公園」に「開拓の母像」として建てられています。

母思像(赤い靴公園)

開拓の母像(ルスツふるさと公園)

ルスツふるさと公園の開拓の母像は、童謡「赤い靴」の女の子の母親をはじめ、開拓に関わった多くの女性をイメージして建てられました。
「赤い靴」の女の子の母親の名前は岩崎かよ。母は娘(「赤い靴」の女の子)がアメリカに渡ったと思いながら一生を過ごしましたが、病に冒され孤児院で9歳の生涯を遂げていたそうです。開拓の苦労の陰に、童謡「赤い靴」の悲話もありました。

開拓の母像(ルスツふるさと公園)

浪越徳治郎先生像(赤い靴ふるさと公園)

「指圧の心、母心、おせば命の泉わく」の名言で一世を風靡。吉田茂元首相やマリリン・モンローにも指圧を施したことで有名ですが、実はその浪越氏が少年時代を過ごしたのがここ留寿都村。
製作者は道内でも有名な米坂ヒデノリ氏によるもので、全ての人に元気と勇気がわくことを願うものです。

浪越徳治郎先生像(赤い靴ふるさと公園)

紅丸薯記念碑(紅丸公園)

留寿都村は紅丸いも発祥の地。
貧困に苦しむ農民たちを救うため村の増田氏、大西氏らによって紅丸いもは作られ、腐敗も少なく多収を得られるとして昭和13年(1938年)に優良品種に決定、同22(1947年)~26年(1951年)ころになると全道馬鈴しょ作付面積の半分を占めるほどになり北海道農業の基礎を築くに至りました。この業績を讃えて「紅丸薯記念碑」が建てられました。

紅丸薯記念碑(紅丸公園)


お問い合わせ

企画観光課
電話:0136-46-3131(代表)

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