留寿都村と童謡「赤い靴」との関わり
童謡「赤い靴」
作詞 野口 雨情作曲 本居 長世
1. | 赤い靴(くつ) はいてた 女の子 |
異人(いじん)さんに つれられて 行っちゃった | |
2. | 横浜の 埠頭(はとば)から 汽船(ふね)に乗って |
異人さんに つれられて 行っちゃった | |
3. | 今では 青い目に なっちゃって |
異人さんの お国に いるんだろう | |
4. | 赤い靴 見るたび 考える |
異人さんに 逢(あ)うたび 考える |

童謡「赤い靴」の定説とその舞台
童謡「赤い靴」は、1922年に発表された童謡で、実話をもとにして作られたという定説があります。「赤い靴はいてた女の子」のモデルとされている少女「きみちゃん」は母「岩崎かよ」の私生児で、生活の困窮から北海道に渡り、現留寿都村泉川地区にあった「平民社農場」に入植する際に、厳しい開拓に幼い子は連れていけないと外国人宣教師の養子に出します。その後きみちゃんは結核を患い、外国にわたることなく東京の孤児院で亡くなり、母はそれを知らずに娘が外国で幸せに暮らしていることを願い続けた、とするお話です。
作詞家の野口雨情は、北鳴新聞社に勤めていたときに、岩崎かよの再婚相手である「鈴木志郎」と同僚となり、この話を聞いていたことから着想して作詞したとされています。
「赤い靴」観光
留寿都村には、童謡「赤い靴」にちなんだ観光スポットがあります。ぜひ留寿都村観光ページにてチェックしてみてください。