留寿都村の年表
平成史へ 令和史へ年号 | 主なできごと |
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安政5年(1858年) | 松浦武四郎洞爺~橇負~留産を踏査 |
明治3年(1870年) | 現如上人従者を連れ来道、本願寺道路の工事に着手(国道230号) |
明治4年(1871年) | 阿部嘉左衛門、牛坂喜四郎ほか1名現在の喜茂別町相川へ入地 本願寺道路(有珠新道)開通 |
明治12年(1879年) | 町村編成、虻田郡虻田村戸長役場に属する |
明治20年(1887年) | 橋口文蔵開拓地貸付許可を受ける(明治24年加藤泰秋に引継ぐ) |
明治24年(1891年) | 加藤農場開拓に着手 |
明治26年(1893年) | 石井昌議三ノ原地区に入植、管理人岸宇佐エ門水車を初めて作り運転する |
明治27年(1894年) | 八幡神社創祀(留寿都神社の前身) 日清戦争起こる |
明治28年(1895年) | 三ノ原で亜麻耕作始まる 三ノ原に出雲神社建設 |
明治30年(1897年) | 虻田村より分離独立して真狩村戸長役場設置(7月1日)所在地現赤い靴公園 戸長宮田彦三郎 留寿都郵便局開設 |
明治31年(1898年) | 総代人を設ける(村会の前身) |
明治32年(1899年) | 留寿都簡易教育所開設 三四ノ原簡易教育所開設 |
明治33年(1900年) | 真狩村農会設立 留寿都駅逓所開設 留寿都臨済宗説教所開設(全宗寺の前身) |
明治34年(1901年) | 留寿都巡査駐在所設置 狩太村を分村(現ニセコ町) 天理教北真分教会の前身三ノ原で布教開始 黒田重兵衛黒田農場を開設 留寿都~狩太間道路開削実施(明治44年完成) |
明治35年(1902年) | 初代村医 萱場祐節着任 |
明治36年(1903年) | 安野義乗真宗を留寿都で布教(富貴寺の前身) |
明治37年(1904年) | でん粉製造手廻し機械を創作(北四線の草野仁吉) 日露戦争起こる |
明治38年(1905年) | 平民社農場開設(明治40年解散) |
明治39年(1906年) | 2級町村制度実施、全村9部制にする 初代村長 阿南安太 |
明治40年(1907年) | 知来別に法華宗仮堂新築し布教開始(本国寺前身) |
明治41年(1908年) | 三ノ原に真言宗開教所設置(遍照寺前身) 三ノ原で水稲栽培始まる |
明治42年(1909年) | 黒田農場特別教授所開設 留寿都信用販売購買組合設立(産業組合法) |
明治43年(1910年) | 真狩村が後志支庁管轄になる(全村を56部制にする) 留寿都小登延頃特別教授所設置 |
明治44年(1911年) | 群馬団体ノボリエンコロに集団入植 |
明治45年(1912年) | 村内小学校連合運動会開催 |
大正2年(1913年) | 開村以来の暴風雨凶作 三四ノ原小南三線特別教授所開設 |
大正3年(1914年) | 真狩村消防組設置(公設) 日本製麻留寿都製線工場設置 第一次世界大戦起こる |
大正5年(1916年) | この頃飲食店30軒以上あり大変にぎわう |
大正6年(1917年) | 喜茂別村を分村 |
大正7年(1918年) | 留寿都に初めて電話つく(三ノ原地区) 留寿都に初めて電灯がつく(一部) 岩内区裁判所真狩出張所開設 留寿都で初めて写真業始める(萩久保満平) |
大正8年(1919年) | 上尻別教授所開設(旭野小の前身) この頃留寿都市街地に銭湯3軒あり |
大正9年(1920年) | 農産物検査所留寿都駐在所開設 |
大正11年(1922年) | 真狩別村を分村(現真狩村) |
大正14年(1925年) | 留寿都~狩太間バス営業開始 村名真狩村を留寿都村に改称(2月1日) 真狩消防組を留寿都消防組に改組(現消防団) |
昭和2年(1927年) | 三ノ原土功組合設立、かんがい溝工事始まる |
昭和3年(1928年) | 胆振縦貫鉄道京極~喜茂別間営業開始 |
昭和5年(1930年) | アスパラガス初めて栽培(登地区) |
昭和6年(1931年) | ビート耕作開始 |
昭和7年(1932年) | 農事実行組合、本道で最初に設立(北四線) 産業組合本部事務所建設(旧農協事務所) |
昭和8年(1933年) | 馬鈴しょ(じゃがいも)本育309号(紅丸)試作 |
昭和9年(1934年) | 字地番改正 |
昭和10年(1935年) | 南二線墓地村費で整理、有志により六地蔵を建立 |
昭和12年(1937年) | 三ノ原郵便取扱所開設 八ノ原共同墓地村費で整理する 日中戦争始まる |
昭和13年(1938年) | 留寿都十字街大火13戸焼失(8月31日) |
昭和14年(1939年) | 喜茂別~洞爺湖温泉間バス運行開始 |
昭和15年(1940年) | 共同でん粉工場普及 馬鈴薯掘取機導入 |
昭和16年(1941年) | 太平洋戦争開戦 加藤農場解放修了 北海道農会が現地訓練所を本村に設置 |
昭和17年(1942年) | 黒田農場解放 留寿都村森林組合設立 |
昭和19年(1944年) | 留寿都村農業会設立 |
昭和20年(1945年) | 太平洋戦争終戦 |
昭和22年(1947年) | 民選初代村長 及川八三郎 留寿都、登、三ノ原に新制中学校を開設 |
昭和23年(1948年) | 留寿都村ラジオ共同聴取協会設立 留寿都村農業協同組合設立 |
昭和24年(1949年) | 後志支庁留寿都地区農業改良相談所開設 |
昭和25年(1950年) | 発疹チフス大流行 |
昭和26年(1951年) | 北海道農村工業協同KK留寿都工業操業開始(クレードル興農株式会社の前身) 北海道倶知安高等学校留寿都分校設立(北海道留寿都高等学校の前身) |
昭和27年(1952年) | 臨時隔離病舎建設 |
昭和28年(1953年) | トラクター牽引幌馬そり(通称トラバス) 運行開始 公営住宅10戸竣工 |
昭和30年(1955年) | 留寿都中学校給食始まる |
昭和31年(1956年) | 公民館建設(現役場横) |
昭和32年(1957年) | 広報るすつ発行 留寿都、喜茂別間冬季除雪開始 |
昭和33年(1958年) | 有線放送電話開始 留寿都~喜茂別間冬期間道路除雪を開始 農業用トラクター本村に導入される |
昭和34年(1959年) | 合理化澱粉工場竣工、操業開始 留寿都市街400m舗装される 国民健康保険事業開始 |
昭和35年(1960年) | 帝国製麻KK留寿都工場閉鎖 |
昭和36年(1961年) | 三ノ原へき地保育所開設 |
昭和37年(1962年) | 鯉沼正之に名誉村民の称号贈る(第1号) |
昭和38年(1963年) | 留寿都村役場庁舎落成 |
昭和39年(1964年) | 農業構造改善事業はじまる |
昭和40年(1965年) | 登簡易郵便局開設 |
昭和41年(1966年) | 寿楽荘落成式挙行 札幌~洞爺湖温泉間冬期もバス運行 旭野・登地区開拓パイロット事業着手 |
昭和42年(1967年) | 留寿都村簡易水道施設工事着工(竣工昭和43年2月28日) 国道230号留寿都村内全線舗装完了 開村以来最長生者 横山ヒサさん数え101才(満100才)で死去 村旗・村章の制定 南羊蹄NHKTV中継局軍人山に開局 |
昭和43年(1968年) | 村道横町線舗装工事着工 |
昭和44年(1969年) | 旭野小学校閉校 村民プール完成 留寿都商工会設立 留寿都村史発行 |
昭和46年(1971年) | 学校給食センター建設 |
昭和47年(1972年) | ジャガイモシュストセンチュウ発生 大和ルスツスキー場オープン 公民館移転新築 留寿都小学校『こども銀行』で大蔵大臣・日銀総裁より中央表彰受ける |
昭和48年(1973年) | ゴミ収集開始(市街地のみ) 羊蹄山ろく消防組合発足 |
昭和49年(1974年) | 三ノ原馬鈴しょ貯蔵庫建設 |
昭和50年(1975年) | 農業改良普及所留寿都村駐在所廃所 |
昭和51年(1976年) | 留寿都、三ノ原、登中学校閉校 統合留寿都中学校開校 |
昭和52年(1977年) | 有珠山噴火(8月7日) |
昭和53年(1978年) | 南羊蹄区域畜産基地建設事業着工(昭和57年完成) 歯科診療所新設 るすつ保育所新設 役場庁舎増築 |
昭和55年(1980年) | 食糧事務所留寿都出張所廃所 |
昭和56年(1981年) | 養父町と姉妹町村提携調印式 特別養護老人ホーム銀河荘(現るすつ銀河の杜)開設 留寿都診療所開設 商工会館新設 |
昭和57年(1982年) | 小麦大規模乾燥施設完成 |
昭和58年(1983年) | ルスツ高原カントリーランド オープン(加森観光) |
昭和59年(1984年) | じん芥焼却炉建設 農協事務所新設、落成 |
昭和60年(1985年) | 登小学校閉校 村民総合運動場に夜間照明設置 |
昭和61年(1986年) | ビート集荷施設完成(糖分買入に移行) |
昭和62年(1987年) | 村の木、村の花設定(アカダモ、シラカバ、セタナリア) |
昭和63年(1988年) | 旧石器時代の石器発見(黒田地区) 国道230号留寿都市街改良工事着工(3か年計画) ルスツ高原ゴルフコースオープン |